2000年
新年明けましておめでとうございます。

”2000年のトライアルの抱負”

80スープラ3SG仕様サーキットバージョンのセットアップに入り
速くてカッコイイ80に仕上げます。
(カッコはもうすでに皆に見てもらったように出来あがってます。)
S15シルビアの開発にも入ります。(期待度120%!)
99年にもやっていた、32,33,34GT-Rの軍団も復活させます。
インプレッサファンのためにTRY-R号をちょっと過激にしてみたいと
思ってます。
2000年から新情報、開発状況等など何でもMackyのコメントを
出来るだけ週1回位は載せていこうと思っています。

by Macky
(Mackyへ質問!応援の言葉・・等などは掲示板へ!)

2000年1月


マッキ−牧原が語る・・・




皆さん2000年あけましておめでとうございます。
HPを開設していよいよ今日より”TRIAL今昔物語が
スタートします。
担当は私めマッキーが致します。
尚、TRIALへの相談、提案はTRIAL BBSへ、
個人的な悩み相談はEーMAILでお願いします。
(特に女の子の場合はとても親切に答えようと思っています)

2000年TRIALは”ヴィッツレース”をやろうか?と考えています。
それも女の子だけのレースチームを作ろうかと思っています。
運転に自信のある子、また無い子もどしどし連絡ください。
メールでも電話でも直接店に来てくれてもOK!
(そのときはヴィッツレースの事でと言ってください)
年齢制限はありませーん。


2000年1月11日

 


本日、店に99年10月アメリカ、ロサンゼルスでの

ホットロッドオプション 発行記念取材でもあった

「キャノンボール・アニバーサリー25th」

のとき 会った「T」氏が来店された。

この「T」氏、出会ったのはロスだが何と 何と!私の田舎と同じ鹿児島県曽於郡志布志町の

出身だった。

この業界で鹿児島県人とは何人も出会ったが

志布志町まで一緒という のは始めてであった。

それもまたアメリカのロスで・・・

なにか不思議な気がするがこれも「何かの縁」。

人との出会いを大切に しようと再認識した日でもあった。

出会いといえば、1月12日、20年来の悪友でもある人物の新社屋落成記念パーティーに

出席してきた。

彼とはL型チューニング全盛のころからの付き合いだ。

当時、暴走族の頭やってた彼が(当時私はそれの手助けショップ)

今じゃ、ポルシェ専門の立派な大会社。

やっぱ、人との出会いは楽しい。ながーーーーく付き合う程、人って味が出てくる。

みんーーーーーな、みんーーーーーーーーな、TRIALで、出会いましょ。

2000年1月13日

 


昨日の夜中01:45〜02:15迄のTV大阪「スーパーオプション」を見た。

この番組は皆も知っている通りTRIALもスポンサーしているんだ。

TRIALでは、できるだけ多くのお客さんが番組に参加していけるようにヤッていこうと思っている。

昨夜はその中の一人「朝見君」の登場だった。

テレビを見てて思ったのだが、彼の日頃店ではメッタに見せない

「満身の笑顔」・・最高だった。

TV収録の時の裏話になるが、私とDaiちゃんは収録前夜、堺の居酒屋でしこたま酒を飲んだ。

当然、舞洲での収録当日私は二日酔いにカゼとWパンチの最悪の日になった。

(結果も最悪)….言い訳ですぅ〜

と、昨日のTVを見ながら収録当日のことを思い出してしまったが、

TVに出てる朝見君の笑顔ですべて救われた思いだった。

これを読んだ君もTVに出よう!

2000年1月18日

 


 

 

オートサロンに出展した80スープラ(3SG E/G)の取材が

1月20日セントラルサーキットであるということで(OPT2誌小林且雄氏)、

前日の19日シェイクダウンを兼ねて事前確認テストをしておこうということになった。

(これが悪夢の始まりとは・・・)

19日は水曜日で店の定休日。

車輌開発チームは積車に積んで昼頃に見学チームとともにセントラルサーキットに着いたみたいだ。

はPM2:00頃に現地予定していたのでゆっくりと大阪を出発した。

サーキットにあと5分で到着という時TELがかかってきた。

「80のE/Gが変!!」

が到着するまでにメカニック連中でタイヤ、ブレーキetc・・ならしを済ませておこうという事で

「K君」がコースインして周回してたの事。

「K君」の談話。

異常に速かった。

キチガイ的に速かった。

メーター見るヒマがなかった。

後で、80スープラのメーターおよびコンピューターの確認したところ・・・

ブーストメーターが振り切っている。

そりゃ、壊れるほど速いわなァ〜・・

それからが大変・・・明日20日には取材が予定されているし、もう頭はガンガン。

とりあえず、店まで帰り、ノーマルの3SGに乗せ換えてしまおうとその日の夕方から始め

完全に終わったのは取材当日の朝。

なんか、15年前の谷田部最高速時代のフンイキ・・


結果

雪混じりのバッドコンディションの中、26秒7。

ものすごく速くなる可能性を秘めた結果だった。

大阪オートメッセのショー開けから再び開発を進めて5月ごろまでには

22〜23秒台を出してみようと思っている。

2000年1月21日

 


なんか1週間ぐらい休んでいてゴメンナサイ。

昨日、トライアル2000年度ドライバー候補予選を雪混じりのセントラルサーキットで行った。

車は33GT-R 480ps仕様(99年TIサーキットで42秒を軽く出している。

このときは380psだった。)候補者はスタッフ3名お客さん2名との、計6名。

まず始めにが、セットアップを兼ねてコースイン、でもなんか全然グリップしない。

久しぶりに走るサーキットは恐怖感満開!

口から心臓が出そうな場面に幾度となく遭遇。

15〜20分ぐらいでどうにかせっとあっぷを終わらせ一人3ラップずつのタイムアタックにはいった。

路面状況や他の要因からタイム的によい結果が出るとは思わなかったが一応基準タイムを27秒フラットに置いた。

(それはのタイム。)

それから嶋仲(スタッフ)は26秒5、他のスタッフは2名が届かず予選落ち。

お客さんの中で奥村君という人物が25秒を出した!

より1秒以上はやい!

という訳で、今年のトライアルワークスカーのドライバーは奥村君に決定。

遂にもドライバーの座から引き摺り下ろされた・・・

いつかはこういう日がくるとは解っていたが・・・

あぁ〜46才になって鈍くなったのかな〜・・

あぁ〜高血圧が影響したのかなぁ〜・・・・(言い訳)

でも、でも、又がんばって返り咲いたる!

みなさん、2000年トライアルドライバー奥村君よろしく!

2002年1月27日

 


 



先日、イギリスから雑誌が送られてきた。

何かなぁ〜と開けてみると表紙にすでにおなじみの黄色いトライアルインプレッサ、別名「TRY-R]号。

トライアルインプレッサ特集っぽく、15ページくらい載ってた。

取材されたことも完全に忘れていた。取材は99年の夏の終わり頃だった。

イギリスから取材人が5名くらい来て、朝から夜までかけてそれこれ勢力的な取材だった。

でも、このMAXパワー誌の編集スタッフ連中たちはヘン、ちょっとラリッて仕事しているのか?

というぐらいハイテンションで仕事をしていく本の出来具合もなんかラリッてんのかという位テンションが高い。

必見の価値あり。

・・・・・・でもこの本、子供が見たらアカンのとチャウやろか?

(ヨーロッパ進出したトライアルでした。)


話は変わって、1月30日はセントラルサーキットで、

”第一回オプション2カップ”だ。

引き摺り下ろされたドライバーとしては、口でトップを取るしかない。

当然も、チーム監督として行ってこようと思っている。

2000年1月29日

 


30日、セントラルサーキットでのOPT2カップの結果はみんなもいろいろなとこのHPを見てるだろうから知ってると思う。

我がトライアルチームは決勝でミッションがとんだ。(3速)

一周することもなくリタイヤ・・あー悔し。


当日、何処のチームも悩んだだろうがコースコンディションの読みが相当難しかった。

我々トライアルチームはその状況の中で、レイン用Sタイヤとスリックタイヤしか持ってなかった。

なぜならファルケンタイヤの18インチV04(ドライS)がまだ発売されていないのだ。

(ウワサでは3月か4月には発売予定らしいが・・)

しかたなく、予選1回目の時、レイン用Sタイヤで走った。

ライン上のみはだんだん、ドライへと変化していく。

レイン用Sにはチトきつい。早速ドライバーへ無線を飛ばし、ピットインさせる。

(聞こえはカッコイイが、実は携帯電話を使用している。)

すぐ、スリックタイヤに交換(何かF1みたい)そしてすぐピットアウトし計測体制にはいる。

が、あと10秒というところでチェッカー・・・(計測できず。アーァ残念・・)

この時点で予選13番手。

(チョットきつい。)

2回目の予選は15時から。我々としては気になるのは天候のみ。

(でもでも雲が厚い、雨がぱらついている・・)

そしていよいよ2回目の予選開始。

1回目の予選の時はほとんどの車両がSタイヤだったが2回目の予選の時はその中の12〜13台が

スリックタイヤにチェンジしている。

でも、1周目のラップが1回目の予選より2秒落ちのタイムだ。

頭の中を不安がよぎる。(作戦失敗か!?)コースコンディションが思ったより相当悪くなっているみたいである。

2周目、さっきよりちょっとだけタイムアップ。

不安と期待の入り混じった状況の中で2回目の予選終了。

予選結果は2位。(ヤッター!)

このコンディションの中1回目予選よりタイムをアップさせたのは

上位25台中トップタイムを出した車と我がトライアルチームのたった2台だけだった。

結果、、、大きな大きな喜びになる様にきっと神様は我々に試練を下さっているかなァ・・(あーなんと楽天的。)

2000年1月31日